
作曲家で演奏家のTomás Cabado(トマス・カバード)の新作2026年8月7日リリース『Paisajes de cuna』をご紹介。
最初に聴いて、直感的に思い出したのが竹村延和の『こどもと魔法』だった。
『こどもと魔法』は1997年の作品なので、今回の『Paisajes de cuna』とは約30年も離れている。
もちろん、単純に「音楽が似ている」という意味ではない。
フィールドレコーディングのように聞こえる環境音、どこか古楽やバロックを思わせる響き、そして女性ヴォーカルのスッキリと澄んだ高音。
現代的な実験音楽でありながら、どこか童話的で、古い記憶のようでもあり、同時に少し不穏。
そうした音がひとつの風景として立ち上がってくる感覚に、『こどもと魔法』を聴いた時とどこか共通するものを感じた。
約30年前の作品を突然思い出したこと自体がおもしろく、そこから『Paisajes de cuna』について調べてみると、この不思議な印象にはかなり明確な背景があることが分かった。
アルバムの始まりは「オペラ」
『Paisajes de cuna』は、最初からアルバムとして作られた作品ではない。
その出発点は2024年、ブエノスアイレスで開催されたFestival Nueva Ópera Buenos Airesで上演された同名の舞台作品『Paisajes de cuna / Landscape Lullabies』。
Cabadoはリトアニアのアーティスト、Greta Štiormier、Gabrielė Labanauskaitėらとともに、この作品を制作した。
テーマになったのは「子守歌」。
制作中、Cabadoはバルト地方に蓄積されてきた民謡や子守歌に触れたという。
そこで興味深いのは、子守歌が必ずしも「優しく子供を眠らせる歌」だけではないということ。
子供を揺らし、眠りへ導く一方で、
「眠らないと恐ろしいものがやってくる」
と脅すような歌も世界各地に存在する。
Cabado自身、Instagramへの投稿で子守歌を、ノスタルジックでありながら熱に浮かされたようでもある「凝縮された謎」として捉えている。
実際、このアルバムから感じるのも単純な安らぎではない。
とても美しく静かな瞬間がありながら、その奥には妙な不安や違和感が残る。
「子守歌」という言葉から想像する音楽よりも、ずっと複雑だ。
環境音、古楽のような響き、透明な声
音そのものについてまず印象に残ったのは、空間の存在感だった。
いわゆるフィールドレコーディング作品ではないのだろうが、環境音のような音が随所に入り込み、楽器だけで閉じた録音という感じがしない。
音楽の周囲にも空間が存在している。
楽器の音と声だけを前面に出すのではなく、その後ろや隙間にある気配まで含めて録音されているように感じる。
そこに重なるのが、どこかバロックや古楽を思わせる室内楽的なサウンド。
Tomás Cabadoはジャズ・ギタリストとしてのバックグラウンドも持つ音楽家だが、この作品を聴いて真っ先に「ジャズ」を意識するような瞬間はあまりない。
むしろ古い時代の歌曲や室内楽を、現代の音響感覚を通して見ているような不思議さがある。
古い音楽の記憶のようなものがありながら、録音として聞こえてくるものは明らかに現代的。
この時間の混ざり方も、『Paisajes de cuna』のおもしろさのひとつだと思う。
そして何より印象的なのが女性ヴォーカルだ。
Melina Moguilevsky、Candelaria Zamar、Catalina Telermanという三人の声が、この作品の中心にある。
高音は非常にスッキリとしていて、オペラという言葉から連想するような、強いヴィブラートで歌い上げる声とはかなり違う。
Cabado本人も彼女たちの声を「claras y blancas」、つまり「明瞭で白い声」と表現している。
さらに、
「歌を大脳皮質に直接置いてくる。テレパシーのように」
という、とても印象的な言葉まで使っている。
実際に聴いてみると、この表現にはかなり納得できる。
声量やドラマチックな歌唱で迫ってくるというより、声そのものがスッと頭の中に入ってくる。
高音域でも重たくならず、細く透明なまま空間に浮いている。
その歌声が、環境音のようなサウンドや室内楽的な響きと合わさって、このアルバム独特の幻想的な雰囲気を作っている。
オペラなのに、オペラから逃れようとする
そもそもの舞台版『Paisajes de cuna』も、一般的に想像するオペラとは少し違っていた。
「ópera-paisaje」、英語ではlandscape operaと説明される作品で、物語を順番に追っていくよりも、声、言葉、身体、空間、音が配置され、それら全体によってひとつの風景を作るような舞台だった。
Cabado自身も現代のオペラについて、オペラというジャンルから逃れ、その定型を避けながら、それでもオペラを参照し続けている、と書いている。
そして、
「それを否定するのであれば、なぜわざわざオペラという形式を選ぶのか」
という疑問まで抱いていたという。
つまり最初から、伝統的なオペラを現代的にアップデートしよう、という単純な作品ではなかった。
オペラという枠組みを一度借りながら、その中からどこまで別の音楽を作れるか。
そんな実験でもあったのだと思う。
その意味でも、完成したアルバムからいわゆる「オペラらしさ」が強く感じられないことは、むしろ作品の狙いに近いのかもしれない。
舞台が終わったあと、「歌」が残った
そして『Paisajes de cuna』が面白いのはここからだ。
2024年に舞台版を上演したあと、Cabadoたちは改めて、
「いったい何が起きたのだろう?」
と作品を振り返ったという。
そこには歌が残っていた。
CabadoがInstagramで挙げているのは、
溶けていく氷河。
幼少期の記憶。
すべてを奪っていく火。
そんな「激しい世界でありながら、時間が止まっているような世界」を歌った曲だった。
そこで翌年、つまり2025年に、舞台で演奏されたものをそのまま音源化するのではなく、スタジオで改めて録音することになった。
Cabadoはその作業を「desandar」と表現している。
一度歩いてきた道を、逆に辿るような意味の言葉だ。
つまりこのアルバムは、オペラの実況録音でもサウンドトラックでもない。
一度舞台作品として完成させたものを振り返り、そこから残った歌へ戻り、新しい録音作品として作り直したものなのである。
そして2026年8月7日、Isla Desiertaからアルバム『Paisajes de cuna』としてリリースされた。
Tomás Cabadoという音楽家
Tomás Cabadoは1993年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。
現在はドイツを拠点に活動する作曲家/演奏家で、ギタリストでもある。
若い頃からジャズやポピュラー音楽を演奏する一方、専門的に作曲を学び、次第に現代音楽、即興、実験音楽へと活動を広げていった。
特に重要なのがWandelweiser周辺との接点。
2017年にはAntoine Beugerに作曲を学び、その後Jürg Frey、Manfred Werder、Stefan Thut、Christoph Schillerらとも交流している。
極端に少ない音や沈黙、持続、音と音の間に意識を向けるような音楽だ。
2019年にはEdition Wandelweiser Recordsからギター作品集『Historia de la luz: cuaderno de guitarra』を発表。
ところが同じ2019年には、サックス、ギター、ドラムによるベースレスのジャズ・トリオ作品『A veces el faro, a veces el barco, a veces se encuentran』もリリースしている。
この振れ幅がCabadoという人のおもしろいところ。
本人も異なる美学の間を移動する一方で、それらを無理にひとつへ混ぜ合わせるつもりはない、としている。
2021年の『Para las esporas』になると、ギター、トランペット、サックス、トロンボーン、ヴォーカルという編成で、ジャズ、歌曲、室内楽の境界にあるような作品を作っている。
そうした過去作を考えると、今回の『Paisajes de cuna』にある女性ヴォーカルと室内楽的な響き、音数を抑えながら空間そのものを聴かせるような作りも、突然現れたものではない。
ジャズ、室内楽、歌曲、実験音楽。
それらを全部一緒にしてしまうのではなく、作品ごとに違う角度から扱ってきたCabadoだからこそ生まれたアルバムなのだと思う。
1997年の『こどもと魔法』を思い出した理由
改めて最初の印象に戻る。
僕が『Paisajes de cuna』を聴いて思い出した竹村延和の『こどもと魔法』は、1997年に発表された作品だ。
約30年前。
制作された時代も、場所も、背景もまったく違う。
だから「影響を受けている」とか「似た作品だ」と言いたいわけではない。
むしろ興味深かったのは、2026年に初めて聴いた新作から、30年近く前に作られたアルバムが反射的に浮かんできたことだった。
おそらく共通して感じたのは、ジャンルそのものよりも「音から立ち上がる世界」なのだと思う。
- 子供
- 記憶
- 夢
- 古い音楽
- 自然の音
それらは本来バラバラのものなのに、一緒の空間に置かれた瞬間、どこか現実から少し外れた場所に連れていかれる。
かわいらしさがありながら、不気味でもある。
懐かしいのに、自分の記憶ではない。
古いようでいて、非常に現代的でもある。
そうした相反するものが、説明されることなく同居している感じ。
『Paisajes de cuna』にも、そんな時間と空間の曖昧さがある。
そして制作背景を知ると、それが偶然ではないことも分かってくる。
この作品では、子守歌そのものが過去から受け継がれてきた記憶のような存在であり、その一方で歌われているのは、溶けていく氷河や火によって失われる世界でもある。
舞台版では、絶滅しつつある現在の世界を、未来から記憶しているような視点も作品の背景にあった。
過去を懐かしんでいるようで、実際には未来から現在を振り返っているようでもある。
そこへ、さらに古い民謡や子守歌の記憶が重なる。
時間の向きがひとつではない。
その感覚が、1997年の『こどもと魔法』を約30年後の作品から思い出した理由のひとつなのかもしれない。
オペラの残響から生まれたアルバム
Cabado本人は、この作品について最後に、
「アルバムとしてなら、もしかしたら面白いものかもしれない。皆さんが見ていけばいい」
というような、少し突き放した言い方をしている。
最初からアルバムとして設計された作品ではないからこその言葉なのだろう。
オペラを作った。
上演した。
終わってから振り返った。
すると、そこにまだ歌が残っていた。
その歌を拾い上げ、もう一度スタジオで録音した。
そうして出来上がったのが『Paisajes de cuna』。
言ってみれば、
オペラの残響から生まれたアルバム
なのだと思う。
フィールドレコーディングのような環境音。
古楽やバロックを思わせる響き。
透明でまっすぐな女性の声。
そして子守歌の持つ、優しさと不穏さ。
静かなアルバムではあるけれど、単なるアンビエント的な心地よさとはかなり違う。
聴いているうちに、どこか知らない場所の記憶を覗き込んでいるような感覚になる。
1997年の作品をふと思い出しながら、2026年に作られた音楽を聴いている。
そんな時間のねじれ方まで含めて、『Paisajes de cuna』はとても印象に残る一枚だった。